スパルタ教育は「有り」か?

スパルタ教育は「有り」か?

スパルタ教育で子供は伸びるのか。スパルタ式の学習の劇的効果やメリットデメリットなど。スパルタ学習をやるとするとどのような方法があるのか、実施する前に知っておくべきことを解説しています。

艱難汝を玉にす

子供に厳しい試練を与えて乗り越えさせる教育方法について、あなたはどのようにお考えでしょうか?スパルタ式学習を是とするのは現代のタブーでしょうか。今どき「子供をスパルタ式で学習させる」という進学塾は皆無です。ならば家庭学習では「有り」なのでしょうか。本稿でそれを取り上げました。

スパルタ教育は否定しません。

 「可愛い子には旅をさせよ」「獅子は我が子を千尋の谷に突き落とす」というスパルタ教育肯定のことわざは古くからあります。本稿ではスパルタ教育という用語を「厳格かつ過酷な訓練を施す教育」の意味で用います。現代の一般的な子育てとは真逆な方法のような気がします。子供の学習環境においてはどうなのでしょうか。

やり方によっては劇的効果がある。

 我が家ではスパルタ風に家庭学習をやっています。スパルタ式をしようと意識したことは無く自然にスパルタ風味が加わった感じです。スパルタは毒にも薬にもなります。劇的な効果があります。小さい頃から本人の意思を超えて習い事や家庭学習させるのは、一種のスパルタ教育にも通じる部分があります。一方、早期教育がきっかけで子供が人生の成功者となる実例も数多くあります。卓球の愛ちゃんスケートの真央ちゃん、有名大学の合格者たちの中にも早期教育の恩恵を受けた方々が数え切れないほどいることでしょう。「スパルタ教育=悪」かどうかはケースバイケースで、一概には決めつけられないと思われます。

スパルタ式と家庭学習

 本田技研の創業社長が従業員をスパナで叩いたエピソードはスパルタ教育に通じるといえるでしょう。筆者は暴力については否定しますが、本田宗一郎氏の気持ちはわかるような気がします。古くは職人が弟子に伝授する技のように、学習においても印刷物では教えることができない「技」とか「考え方」「要領」というものがあります。
 この話を突き詰めていくと、生活の万事がことごとく学習に現れるということになります。子供の躾は学習と密接に関係しており、筆者はこれを口伝で手取り足取り行っているのです。スパルタ式はこれに馴染みやすいというか「方便」です。詳しくは順を追ってお読みください。

原石を磨く喩え

 よく未開拓な才能を開発する喩えとして、原石を磨くという言葉が使われます。磨くとは研磨することで磨かれるほうはストレスを生じます。家庭学習ではどうでしょうか。筆者が思うに「原石を磨くのはずっと後の話」で、まず最初に原石が入った岩を切り出さないといけません。それが幼児教育だと考えます。4歳ぐらいの凸凹な時期に、どうやって興味を向かわせるかがなかなか大変なんです。
 そして早期に算数や数学を教えるのは、岩の中から原石を取り出す作業だと思います。とりあえず必要なものを短期間で教え切る必要があります。商品開発に喩えるとプロトタイプ(原型)をとりあえず作ってしまう感覚でしょうか。
 現時点における我が子(長男)は岩を切り出して中から原石を取り出すことに成功し、やっと加工し始めた段階です。なのでプロセスの中でも荒い作業が未だに続いています。磨く段階には入っていません。

我が家の日常

 我が家の家庭学習は決して順風満帆というわけではありません。こちらが計画するよりも覚えが悪いことがしばしばです。そういうときに「まだわからないのか!」と怒鳴りたくなることがあります。いや、実際に怒鳴っているのです。当然ですが教える側としてはとてもストレスがたまります。投げ出したくなることは何度もありました。でもそこは忍耐で3回までは懇切丁寧に教えることにしています。

覚えられないときは・・・

 3回教えてマスターできていない時は本人の頑張りが足りないものとみなし、容赦なく叱りつけます。「こうやるのだ、馬鹿者!」と鉛筆を取り上げ、私がやってしまうこともあります。ただしそれも計算のうちで、やってみせた後で「ちゃんと見ていたか?人がやるのを見て覚えなければだめだぞ」と集中のほうに持っていくわけです。息子と私の関係は弟子と師匠みたいなものです。

教える作業はなりふり構わず

 塾だと教科書やレジュメみたいなものが配られるのでしょうけれど、我が家ではレクチャーに教科書も参考書も一切使いません。全てが口頭による「ぶっつけ本番」だけで行います。反応を見ながらアドリブで教えるのが基本です。

仏のようにレクチャーする

 教える作業には二種類あって、一つは教科書的に図表を書きながらわかりやすく優しくレクチャーする作業です。子供は受け身ですから喜んで聴いてくれます。適宜、例題を解かせながら…。しかしこれをずっと続けていても力は付きません。それで次のプロセスに入るわけです。

鬼のように教える

 次のプロセスとはアウトプットをメインにして教える作業です。問題を解かせてみて理解が足りない部分や時間が掛かる部分を見つけ出し、ブラッシュアップしていきます。どうやったらもっと上手になるか本人に考えさせます。与える問題はきっかけにすぎず、やっているうちにテーマが決まっていくこともしばしばです。
 褒めて教えたりしません。正当に評価します。「褒めて伸びる」なんて迷信だと筆者は考えています。子供は「正当な評価」に基づいてこそ、「出来るようになった」という本当の感動を味わうことができます。それが次のモチベーションにつながります。

マンツーマンのスパルタレッスン

 マンツーマンでレッスンすると本当の問題点が浮き彫りになるものです。例えば、我が子は与えられた演習問題について論点を図に書くのが苦手です。小学一年生だからという甘えは禁物だと思っております。「出来ていないものをどうやって克服するか」徹底的に究明していくことで、どのように練習すると良いかが見えてくるものです。画像は数直線への理解が弱いことがわかり、論点を数直線で表す訓練をしている状況です。座標軸の考え方を絡めながら小数や分数も数直線で表現できるように訓練しています。鬼のように厳しく対話しているのがわかりますでしょうか?
 優しい言葉は使いません。鬼のように弱点を追求して自分が如何にできていないか自覚させます。バトルするかのように問答しつつ本気を引き出していきます。出来るようになったら「よく頑張った」と心からの一言を添えるようにしています。
 教える作業は以上のプロセスとなりますが、その後は記憶の定着を図るために自作ワークブックで自動化させています。

月月火水木金金

 我が子は休日なしで家庭学習しています。元々ダラダラのんびり過ごすのが好きな子で、それを矯正する意味で一日のスケジュールを厳しく管理しています。それを可哀そうだとは考えません。「少年老い易く学成り難し 一寸の光陰軽んずべからず 未だ覚めず池塘春草の夢 階前の梧葉すでに秋声」と思っています。筆者が「スパルタ教育は否定しない」というのは、スパルタを取り入れることで劇的な効果が得られているからです。

我が子を知ることが基本

 我が家のようなスパルタ式教育は、教える側がよほど覚悟を決めて緻密に行わないと子供が壊れます。我が子の心が手に取るようにわかっていないと無理でしょう。当然ながら外注ではできないことでしょう。子供一人一人に対して合ったやり方はあるはずで、筆者は下の子(次女)には同じ方法がそのまま通用するとは考えておりません。下の子についてはまずは触れ合いながら観察しているところです。
 最後になりますが、スパルタ風味の教育で我が子はとても辛抱強い人間になったと思います。投げ出さず打たれ強くもなりました。現在の教育方法をベストと思わずに、子供に必要なものをその都度選択していきたいです。

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