宿題が出されることに賛成ですか?
宿題が足かせになることがあります。
宿題があることで本来やらせたい家庭学習ができなくなってしまうという悩み。筆者の家ではたくさんあります。ほどほどにしておけばいいところを、ついつい本気で取り組んでしまうんです。深入りせず時間を決めてやれば無難なのでしょうけれど…。
通信講座は邪魔なので買わない。
小学校に入学した長男に宿題が出るようになりました。筆者はかねがね入学後の家庭学習は、学校から出る宿題と本当に学習させたいものとの二層構造でいくことを予定しておりました。なので入学にあたり、「宿題と重複する講座」は買わないようにしておりました。
宿題を逆手に取って利用する。
これは既に始めていることですが、宿題を出されたということは「お題を与えられた」と考えるようにしています。宿題で出される課題に発展学習を加え、さらには日々子供に対して行っている家庭学習にも反映させるようにしています。また社会人になる将来を見据えて、宿題をとおし「提出物はキッチリ仕上げる」癖をつけさせておきたいものです。結局、宿題は足かせになるかどうかについては、考え方ひとつで毒にも薬にも化けると言ったところでしょうか。
宿題とは何のためにあるのか
宿題の意義
宿題が出される目的ですが私は二つの側面があると思います。一つは記憶の定着を図るという当たり前の話。授業でやったことを時間をおいて家庭でも復習してみるという意味です。
もう一つは学校側の都合。授業だけで全ての児童に十分教え切れていないので、家庭に手伝わさせるという意味と考えます。本当だったら義務教育を標榜しているのだから授業の中でキッチリと習得させるべきですが、そういう体制になっていないので親に奉仕させるということになります。
※良し悪しは別問題で実態はそういうことになります。
義務教育の光と影
義務教育というのは親が子供に教育を受けさせる義務です。日本国を繁栄させていくには大切なことですね。個人と国家が結果的にwin-winの関係になる素晴らしい考え方だと思います。
その一方で前述のとおり肝心の受け入れ態勢が万全ではないわけです。この矛盾は子供にマンツーマンで宿題をさせてみればわかることです。いかに子供に目が行き届いていないかがはっきりわかりますね。これはできる子・できない子という個人差のせいでも教師のせいでもありません。絶対的にマンパワーが不足しているのです。
30人学級という言葉があります。これは1クラスの上限が30人ということです。その昔、私が児童だった頃は40人学級でした。なので努力はしているのですね。でも30人でもまだまだ足りません。これは実際に授業の現場を見てみるとわかります。
マンパワー不足を家庭でどう補うか
筆者は長女が「特別支援学級と特別支援学校のどちらを選ぶべきか」という名目で、毎年小学校の授業の見学をさせてもらいました。その授業の中で例えば先生が問題を出して、それぞれに答を考えてもらうとしますよね。できる子はすぐ終わって暇そうにしているし、できない子はわからずにもじもじしている現状を必ず目にします。できない子は先生が回ってこないと先に進めないんです。
いずれにしても適切な指導が行き届かず授業のスピードも遅いです。できる子もできない子も、個別にマンツーマンで10分間指導するほうがよっぽど伸びると思いますね。要するに一つのクラスの子供の数に対して教師の人数が少なすぎるし、予算をそういう部分に回してないわけです。
授業だけでは賄いきれない不備があることを前提にして塾に通わせるか通信講座をやらせるか、参考書や問題集を使って教えるか等々決めないといけません。
学習塾と宿題は相反する関係
矛盾をはらんだ小学校の体制に比較すると、公文式のスタイルは非常に素晴らしいと思います。マンツーマンではないにせよ子供に対するスタッフの人数は「適切」の範囲内にあります。できる子・できない子の両方を満足させながらできる子にはどんどん飛び級させていく魅力的なシステム。個人で行う家庭学習ならそれぐらいのこと何でもありませんが、それをフランチャイズなビジネスモデルに落とし込んでいるところが凄いと思いました。
ただ、公文式を実際やるかどうかの話になると、やはり宿題との兼ね合いをどうするかという問題に突き当たります。毎日宿題がそれなりの分量を出される場合はキツイことでしょう。公文式をやり始めると公文が休みの日でも、公文式の復習をしないといけません。他にやってみたい教材があっても手を出しにくくなることでしょう。やるんだったら公文一色に染まる覚悟が必要でしょう。
これは他の学習塾についても言えること。宿題は学習塾と必ず勝ちあいます。だから筆者は子供の小学校入学にあたり「家庭学習」で完結させる道を選択したのです。
どのように関わるか
磯野カツオの育て方を真面目に考えてみる
サザエさんというアニメがあります。カツオというわんぱく坊主がいて、家族内でいつも悪者扱いされています。「カツオ、宿題やったの?」と訊くのはいいのですけれど、宿題を見てやることは絶対にありません。さらにはテストの点数が悪いと「お父さんに叱ってもらいましょう」となります。あれっておかしいと思いませんか?テストの点数ばかり気にしていてカツオがなぜ理解できていないのかという最も重要な原因を調べようとしないではありませんか。私だったら叱るよりも、テストの間違いを直す作業をまずやらせると思います。間違いの部分をノートに書き写させて、弱点問題集として繰り返し練習させることでしょう。
カツオの勉強のことで悩む気持ちはよくわかります。本来であればお父さん・お母さんがカツオに宿題をとおして勉強を教えるか、それができないのなら塾にやるなり家庭教師をつけるなりしてやればいいのにと思いながら見ていました。磯野家の「人並みの学力をつけさせてあげよう」という意識が低いので、カツオも「わからないまま放置」の積み重ねで年数が経つにつれ勉強からどんどん遠ざかっていくのだと思われます。
磯野家をスタンダードと思ってはいけない
あのアニメを見ていると「親が勉強にかかわらないのが普通のこと」という錯覚に陥る気がします。本来は親が積極的に学習にかかわるべきと私は思います。関われば子供の思考方法や悩み等々気が付くきっかけができやすいです。筆者が家庭学習を大切にして塾通いに慎重な理由は、子供の様子が把握できなくなりそうだからです。子供を養育するうえで親の監督は不可欠と考えています。子供は勉強を学ぶだけで育つのではありません。人生について深く関与していかないといけません。
宿題肯定論
塾は家庭で教えきれない部分を補うのであれば良いと思います。ただし過度に依存するとなると、親が子供とガチで交わる時間が無くなる恐れがあります。正直やりにくくなるのではと思ったりしています。そういう意味では子供が毎日通う小学校から出される宿題に子供をしっかり取り組ませるのは意味があると思います。やっていて疑問な点は尋ねることもできますし、教え方について相談もできることでしょう。さらには学習以外の学校生活上の悩みを相談しやすい関係づくりに役立つかもしれません。我が子に関する情報を色々な角度から共有し合うためにも、宿題はしっかりと取り組ませたほうがよいのかもしれません。
教師という職業はAI(人工知能)&ロボットで置き換えられるか?
※半分冗談で半分マジぐらいな軽い気持ちでお読みください。
タブレット端末は教師の分身
限られた予算で子供の数に対して教師の数をもっと増やすべきと考えるなら、タブレット端末を使えばいいということになります。紙と遜色ない書き心地に製品のクオリティを高めることができれば、ほとんどの授業を端末に置き換えることができるでしょう。教師の人数は現状維持で済み、さらにたくさんの教育スタッフを雇うのと同じ意味になります。今ですらアプリは間違いを即座に指摘し正しい解き方に導いたり、自分の弱点問題ばかりをソートする等々有用なものが開発されています。使い勝手がよくクオリティの高いアプリはマンツーマン指導を受けているかのようで重宝します。
管理職がいらなくなる時代
さらに人工知能を駆使すれば教師を統括する管理職の出番はほぼなくなります。現場の教師がいて端末を使った授業を行い、子供の学習データや担当教師自身の行動データをAIが評価して授業の質をさらに高めていく。データの蓄積が全国の小中学校で行われAIのさらなる進化につながっていく。責任者はいるとしても管理職はいらなくなる。そういう時代が十年しない間に訪れるかもしれません。
教師に未来はあるか
現場の教師の代わりにロボットを使うのはあり得る話です。授業以外にもたくさんの用事をこなさないといけない現状(マンパワーを増やさない政策)からは、そちらにベクトルが向いても不思議ではないと思います。教育産業は2.5兆円の市場規模と言われております。教育改革のもと教科の内容に大きな変化が見込まれるようですね。過酷な労働環境とか公務員不祥事のような世論ウケしやすいアプローチで、義務教育の現場にAI&ロボットへの置き換えが進んでいくような予感がしております。子供達がなりたい職業として教師志望も多いかもしれませんが、私は自分の子供を教師にしたいとは思いません。